2019年4月9日火曜日

荒れた竹林の手入れ<森田>

昨日、一昨日と2日間、裏山の竹林の手入れを行いました。

裏の竹林は手入れをしておらず、竹林は広がる一方ですがどんどん枯れてもおり、イノシシは掘りまくり地面はガタガタです。
竹林が荒れたままになっていることは、ずっと気になっていました。

そのままにしていると、新しい竹が生えず、大雨になった時に危険だというアドバイスをいただき、何とかしなければと思いました。
思いはあれども、知識もなく時間も取れず、どうしていいものか・・・
なかなか手を付けられないままでした。

NPO法人CEALOグローバルハーモニージャパンの倉敷の拠点に現在ミャンマーのボランティアメンバーがおられ、ちょうど今年学校を卒業され就職準備中ということをお聞きしました。

ミャンマーでは、一昔前の日本のように、竹を燃やしてご飯を炊いたり、畑の支柱はもちろんすべて竹。
  
田舎では竹を組んだ家に住んでいます。
 
彼らが竹を使うことは日々の生活に密着しており、竹に関する知識は現代の日本人とは比べ物になりません。
  
一昨日は主人に倉敷まで迎えにいってもらい、
ガッツさんとともに、滞在中のミンウーさんも一緒に手伝ってくださるとのことで、2人が到着され、おそい夕ご飯を一緒にいただきました。
私は、以前ボランティアでミャンマーにはたびたび訪問しており、ガッツさんが孤児院で、日本語を勉強したいと手を上げたころから知っています。
日本語もまったくわからなかった少年が、何年もかかって勉強し、流ちょうな日本語を話すたくましい青年に成長。
NPOの支援を受けてミャンマーで初めて日本語を学んだ時に教えさせてもらった10年前を思い出すと、彼らの成長ぶりになんだか感極まるところもありました。

支援をする側、される側・・・
そこには上も下もなく、いつ反対の立場になるかはわからないこと。
アジアの支援に長い間関わらせていただき思ったのは、支援する側よりも、支援している側の方が実は学びが大きく、
みえないところでは逆に支援されているということ。

今回は、竹林の手入れでサポートいただき、彼らの知識や力は、もしかしたらこれからの日本には必要になってくるのではと思いました。

一昔前には当たり前だったこと、忘れ去られたような日本人の勤勉さ、道徳心のようなことも、彼らの中にはまだ健在です。
ミンウーさんも2014年にNPOの体験学習で来日され、ここ熊野町の私たちの拠点で1か月滞在、共に田舎の生活や農家の田植えを体験されています。
彼は高校生の時に右手を失くしており、片手ですが、なんでもやります。
変わらず丁寧な仕事をされていました。
片手でできないところはガッツさんと協力しながらも、器用に片手で竹を伐採していきます。

彼らが竹を切り、私はそれを運び出し、主人がチップにして、チップを運搬車で運ぶという流れでいきました。


一昔前の日本人はこうだったのかなあ・・・と連想するくらい、彼らは本当に勤勉です。

下の息子と同年齢ですが、うちの子には体力もちがうし、無理だろうな~~
今の日本人のこのくらいの年齢の青年だったら、たぶんみんなできないだろうなあ・・・

ナタとのこぎりの使い方が慣れており、またその仕事が早い早い!!!

私も彼らの仕事ぶりに奮発されて必死で切り出した竹を運びましたが、なにせ年齢も違います。
林の中を竹を引きずったり、抱えたりして何度も往復して、終わったころには足はガクガク(笑)

それもそのはず。
なんと1日で20000歩も竹林を歩いていました!!

竹山はイノシシが掘り上げてくれているお陰で足場は穴ぼこがいっぱいで、竹の切株も危険。
こけそうになりながらもなんとかこけないで作業が出来ました。

青竹はチップにするけど、枯れ竹は燃やすのでチップにしません。
最後に自分が運んだ枯れた竹の山にはびっくり。
夢中でやっているけど、ちりも積もれば山となるはこのことですなあ。

お陰様で荒れた竹林が1日かけて見事に再生しました。

ビフォー

アフター

翌日の午前中は、くまの元気会でイノシシの柵を取り付ける予定のところも、竹を伐採し、イノシシ柵をとりつける準備ができました。
この地域の住民は、周りを見回しても高齢者ばかり。
病気療養中だったり、体力的に無理がききません。
中山間地域ということもあり、地域の保全するのは大変です。

これからどこまでできるかわかりませんし、この谷がどうなっていくかはわかりませんが、
彼らの力も必要な時は借りながらも、みなさんと共にできることは最善を尽くしていきたいと思います。

ミャンマーのお二人さま、お疲れさまでした。
そしてありがとうございました!!